こんにちは。

晟子です。(せいこと読みます。)
名前の由来は、「物事がはっきりしている様子、日光が十分照って明るい。」というものです。

「そんな生き方をすると幸せになるよ。」
と26歳の時、気功の先生につけていただきました。

 

当ブログをご訪問くださってありがとうございます(^^)
私は、夫と双子の娘とお姑さんと暮らしている50代の主婦です。

 

短大を卒業してから、10年くらいフリーターをしていました。
さまざまな職業を経験し、今の夫と再婚、
怒涛の双子育児期を経て
現在に至ります。

 

今はネットビジネス(アフィリエイト)で家計を助けつつ、
実家の90歳の母、独身の叔母の面倒を見ながら、
マイペースで主婦業をしています。

 

このブログでは、
数多くのネットビジネスを実践して芽が出なかった私が、
主婦業と母親業と親や叔母の介護をやりながら、
心の豊かさと経済的豊かさを手に入れた道のりをお伝えしています。

 


あなたも、自分でできるネットビジネスで、
親の介護も想定しつつ 、心の自由とプチリッチを手に入れたい
と考えていらっしゃるなら、

どうぞ最後までおつきあいください。m(_ _)m

 

幼い頃

私の父は若い頃、福岡のある島を出て、ミシンのセールスマンになりました。
時代のおかげもあり、ミシンはよく売れて営業所の所長になりました。

部下に飲食をふるまうことが多かったそうです。

その結果、多額の借金をこしらえ退職し、背水の陣で母と廃品回収業を始めました。

 

私の周りにあった廃品の中には、文学全集を始め、いろいろな本がゴロゴロしていたんです。
お金こそなかったけど、本にはいつも囲まれている状態。

文学少女の出来上がりでした。

 

私が本に没頭するには理由がありました。
現実からの逃避です。

 

幼い頃から、両親はほぼ毎日喧嘩ばかりしていました。
ほとんどが、父の母への言いかがかり。

 

まだ小さい子どもの心って、
動物、花、空、親くらいの世界くらいにしか生きていません。
(少なくとも私はでした。)

その“親“の部分が日々、大荒れなわけです。


そのことが、私の心に大きな影響を与えてくれました。

 

  • 恐怖のために心休まる居場所がない。
  • 私にはいつもニコニコ笑ってくれる父親であっても、
    いつ喧嘩が始まるかわからないという不安。
  • 大好きな人たちが憎み合う姿。


どれも子どもは大きく傷つきます。

 

また、夫婦喧嘩に没頭している間、
子どもは放置されているようなものです。

私の心のことなどおかまいなしに、親の都合で怒りをぶつけ合っている。

 

小学生に上がるころには、
そんな恨みのような気持ちも芽生えていました。

 

小学校4年の時に通知表でオール5を取ったのを最後に私は、
いろんなことが“普通”になり、
中学、高校、短大と無難に卒業していきました。

長いフリーター生活

短大を出てから、「○○子ちゃん(私の名前)、今、どこにいるの?」
というのが親しい友人のあいさつになりました。

 

私は、フリーターになったのです。

 

私の中に育っていた自己肯定感の低さは
就職活動を拒みました。

 

長野の山小屋、旅館、高原野菜の栽培、乳牛のお世話、スキー場のアルバイトetc…。
いろんな場所で働きました。

 

その原動力は、

「親の影響を受けない自分になる!」

ということだったように思います。

 

21歳から一緒に住んでいた人と26歳で結婚。
毎日、喧嘩している親の姿を見ていたので、楽しい会話ができれば
職業など気にしていませんでした。

 

小説家希望の彼は子どもを欲しがらず、
30歳で私たちは離婚しました。

 

「子どもが欲しい!」
と思うのは、私も多くの女性と同じでした。

出雲神社の効果?

今の夫とは39歳で結婚。


再婚しようとしない娘に
しびれを切らした母親が申し込んだ

出雲大社へのバス日帰りツアーのおかげ……
かどうかはわかりません。

 

とにかく私は高校時代の同級生とバタバタと結婚が決まり、
39歳の5月には式を挙げたのでした。

 

出雲大社でお願いした、

「嫁ぎ先は、全国どこにでもよいです!」
という無欲さが功を奏したのか、

実家からJRの駅で1駅だけ離れた婚家でした。

(その頃、“神社はお願いするところではない、感謝をするところ” という大原則にまだ気づいていませんでした。)


実家から車で15分という距離に、母はとても喜びました。

双子育児の始まり   

結婚3ケ月で身ごもった赤ちゃんは双子でした。
人生の中で、“驚愕”することってそんなにないと思います。

でも、

「双子ですよ。」

という婦人科の先生の言葉には心の底から驚きました。

 

26歳から高齢出産を見越して、
導引術(気功のもとになった健康法)を習い始め、

結構、まじめに実践してきた私への
神様のプレゼントかな、と思っています。

 

お産は、41週で自然分娩でした。
(今もその産院の記録になっているらしいです。)

 

生まれた直後から怒涛のような双子の育児が始まりました。
赤ちゃんは女の子で、二人ともほぼ3キロで生まれました。
特に気になる病状もなく、すくすくと大きくなってくれました。

 

でも、お決まりの夜泣きには、泣かされました。

 

どちらかがやっと寝たかと思うと一方が泣き始める。


「こっちが泣きたいわ!!!」

 

という気分で、毎日、ふらふらでした。
なるべく自然に近い育児を目指したので、
おっぱいは母親がやるしかありません。

 

腕立て伏せをしながらの授乳。
片一方を抱っこしながら、
もう一人へはバウンサーを足で揺らしながらあやす。


「10分でいいから、私を一人にしてくれ~。」


そんな思いで毎日が過ぎていきました。

まるかんの特約店になる

赤ちゃんも生後6ケ月になると母親業も少し慣れてきました。
私は働いてみようと思うようになりました。


その頃、大好きだった斎藤一人さんの銀座まるかんのお店が
特約店を募集していたので、

家で販売させていただくことになりました。

 

今から考えると、もっと双子育児に専念する方が
子どものためにも家族のためにもいいと思うのですが、
とにかく私は、お金を安定して稼ぎたいと思っていたんです。


結婚直前に採用していただいた、
公文の直営教室のインストラクターも、
流産しかかったので、
惜しまれながら退職していました。

 

お金に苦労した30代のやり直しを早くやらないと!
と焦っていたのかもしれません。

 

でも、生後半年の赤ちゃんなんて(それも双子)
まだまだ、手がかかり放題です。

まるかんの本社からの電話にも、
「赤ちゃんが寝てるので、すみません…。」
などという理由でまともな音量で話せない状態です。


ほどなく辞めさせていただくことになりました。

主婦起業を模索~ノウハウコレクターへ

2011年頃から、また起業熱が頭をもたげ、
インターネットで起業することを目指すようになりました。


これまで買った教材は、どれだけあると思いますか?

……「怖くて数えられません。」というレベルです。


高額のものもありましたし、
1万円くらいものもありました。


今から考えると
「初心者が陥りがちな軌跡をすべて踏んできた。」
と言ってもよいかもしれません。

自己投資の名のもとに、お金をかけては挫折して放り出して、
その返済のために、派遣社員として期間限定で働いたこともあります。


デイサービスの送迎の運転手として、朝、夕だけ働くなど、
あの手、この手でしのいできました。


SEである夫も、
私が「何かインターネットでお金を稼ごうとしているらしい。」

とは気づいていました。


でも、応援するというより、黙認…。

かけたお金をまったく回収できず、
成果を上げてないのだから、仕方がありません。


「自分で負債を作ったら、自分で返していかなよ!」

という暗黙のプレッシャーを感じる日々でした。


結局は、

自分で黙々と構築していく以外にないんだ!

という気持ちが常にありました。


だからネット起業をあきらめずにやってこられたのかもしれません。

ヒントは毎日の生活の中に

若い時こそ、一人で全国を放浪し、フットワークの軽い私でしたが、
子どもができてからは、すっかり家庭におさまり、
家事が大好きになっていました。

正確には

「家事をいかに楽に、達成感を持ってこなしていくか。」
ということが好き、と言えるかもしれません。


子どもができてからは、どんな子育てがいいのか、
健康な子どもに育つためにはどんなものを食べさせたらいいのか、
などを調べては、実践していました。


公文のインストラクターであったこともあり、

どんな勉強法が子どものやる気を起こすのか
どんな声掛けがよいのかなども本で読んでは
ちょこちょこと子どもに試していました。



子どもの塾代や将来の学費を捻出するために

「主婦がパートに行く。」
ということもよく聞く話ですが、


母親が忙しくして、子どもに手をかけられずに、

受験期になったら高額な塾にまかせっきり。


また、普段から子どもに経済観念を
教える暇も余裕もないままでいたら、
気が付いたら、
子どもはいくらでもお金をかけてもらえるものだと

勘違いしているかもしれませんよね。

※お金に苦労した30代を過ごした私としては死に金は
一切使いたくないという気合が入っています。(^^)/


それよりも……。

ある時期、家計に余裕が感じられなかったとしても、
手作りの料理を家族みんなで囲む幸せがあったほうがよくないですか?

 

「忙しい、疲れた、息抜きを。」
という理由で外食が続くとしたら、5人家族で月に1万を超す出費ですよ。

 

また、母親が子どもの勉強を見てあげることで、
子どもに自学自習の習慣がつけば、
塾も行かなくて済むか、あるいはその時期を遅らせる
こともできるかもしれません。


それによって、家計の教育費の負担は全然違ってくるでしょう。

 

そんな自分なりの実感がつかめてきた頃、

「家事って面白い!主婦業や子育てを楽しもう!」

と思えるようになってきたのです。

 

そうして、私のベースは、起業熱を持ちつつも、
主婦業へと落ち着いていきました。

ホ・オポノポノに出会う

そんな、主婦の日常生活に感謝する日々ではあったのですが、
私は2011年にホ・オポノポノを知ることになります。

 

ホ・オポノポノとはハワイに伝わる問題解決法であり、
セルフクリーニング(心を浄化する)法です。

 

日本にはヒューレン博士によって
個人レベルでできるやり方が伝わっています。

 

そこで繰り返し教えられるのは

「私の中の何が原因で、このことが起きているのだろう?」

という問いかけが重要だということ。

 

若いころから、スピリチュアル的な自己啓発本は
たくさん読んできた私でしたが、

 

「これで私のスピリチュアル遍歴も終わりになるなあ。」
と思えるくらいの究極な教えでした。

 

※興味のある方はホ・オポノポノを調べてみてくださいね。

 

「私って、ずっとお金に苦労してきたように思うけど、
それってどういうこと?
その潜在意識は書き換えられるの?」

 

ということに興味は移ってきたのです。


意識がそこにフォーカスしてくるにつれ、
ノウハウコレクターだった自分、家事と子育てが大好きな自分の
知識と経験が活かせることに気づいたのです。

母の認知症の始まり

子どもの教育も軌道に乗ってきたようなこの頃ですが、
今度は実家の母親に手がかかるようになりました。
(父は17年前に他界しています。)


2017年の6月に母がオレオレ詐欺に引っ掛かりました。

 

長男をかたる男からの電話を信じてしまい、
なけなしの定期貯金を解約して現金を手渡そうとしたのです。


幸い、お金を引き落としに走っていったゆうちょ銀行の窓口で使い途を聞かれ、
お金をおろせずに、事なきをえました。

 

でも、その
「だまされた。」
という事実が母には認めがたいことだったのかもしれません。


その頃から、母に対して、周囲が「???」と思うことが増え、
記憶間違いや忘れることが多
くなりました。


私とスーパーに買い物に行って、車の助手席から降りたのに、
次の目的地へ向けて車に乗る時にはもう「どこから乗るの?」といった感じなのです。

 

そんなある日、母は庭の段差でふらついて腰を痛め、
3日間くらい動けなくなりました。


幸い、歩けるほどには回復したのですが、
そのことをきっかけに、
また、ガクンと足元と記憶がおぼつかなくなりました。

 

88歳まで

「お母さんは高齢者の優等生だね。」

と言ってほめていたのに、



ちょっとしたことでふらついて尻餅をついたり、

曜日の区別がつかなくなったりということが増えてきました。

 

病院で診察を受けるまでもなく
「認知症」が始まっているのは誰の目にも明らかでした。

母の老いにつきあいたい!

そんな母ですが、デイサービスの利用も決まり、
認知症や足腰の弱りとうまく付き合っていくペースが何となくついてきました。

 

デイサービス選びも慎重に行い、
ケアマネージャーさんにもしっかり希望を伝えました。


満足のいく次のステージの準備ができたのは、
私が家で仕事をしていたから、というのも大きかったかもしれません。


現在、私は週2回、母のところに行き、
いろんなおしゃべりをしながら足をもんだり、
市の推奨する介護予防体操を一緒にやったりしています。

 


デイサービスに行くようになってから、
そこでの出来事など、
変化のある話題を引き出すのも楽しくなりました。

 

 

「その話はもう何度も聞いたよ。」
ということも多いのですが、
笑顔で相槌をうてる時間が何よりも有難いなあと思っています。

兄の大腸ガンが見つかる!叔母のやけど入院!

主婦の50代っていろんな面で責任があるって思いませんか?

 

これまでは出会わずに済んだかもしれない、


命や、最後の生き方に関わるようなこと


への選択が必要になってくることが
多いように思います。
親の介護や家族の病気などがそうですね。

そうなっても夫は日々の会社勤めで忙しく、
あまり頼れません。

 

例えば、

先日、兄に大腸ガンが見つかったんです。


今までの仕事へのあり方に加え、
今年から、母が急に要介護になったり、叔母の生活保護の手配など
ストレスも多かったのかもしれません。


とにかく、そうなると急に家族としては、
病院選びに始まり、治る方法やお金のことなど、
調べる必要のあることがドッと増えてきます。

それらのことは、普段の健康管理も含めて
家庭の中で誰かが、リスク対策をしておくことで
いろんなことをスムーズに決めることができます。


独身で一人暮らしだった叔母も

先日、寝たばこでボヤを起こし、
上半身にやけどを負ってしまいました。


老い
からくる身体の弱りで、
意識が飛んだことから来る結果だったようです。

 

義姉は、その世話もあり、パートにも行けなくなりました。

家族の中で一人が病に倒れると
影響を及ぼす範囲は、その人だけではないのです。
回りの人の仕事も奪うことになるのです。

 

 

普段からの心がけと暮らし方の正しい知恵は
一朝一夕には
身につきません。

 

だから日頃から、その生活力を日々、磨いておくことが大切です。

 

 

主婦に自由な時間とお金があると、家族の変化に対しても柔軟に動けるのです。

私は

「いつも家族と一緒にいられて有難いなあ。
何かあった時に気にせず、お金を使えて本当によかった!」


という気分を味わうために
インターネットでの仕事をしていくことを決めたのです。

私にできること・やりたいこと

ここまで長い文章を読んでくださって
本当にありがとうございます。


「親戚一同に顔向けできない」



と20代30代と親を嘆かせた私ですが、

今、インターネットを通じて、
誰かのお役に立てるようになりました。


私がみなさんへできることは、一つです。

それは、みなさんが、
自宅から出ることなく、パートに行かなくても済む、

プチリッチな経済力と時間

を持てるようになるお手伝いをすること。



私は今、平日は夫と子どもが出かけた後、
朝日を背中に浴びる自分の部屋で毎日、
ブログを書いたり、メルマガを書いたりしています。



週に2日程度、午後から、
母に足もみをや介護予防体操をやるために
実家に出かけます。

時々はランチに出かけることもあり、
親孝行ができる幸せをかみしめています。

 

主婦という家庭内のステージで言えば、

家族が暮らしやすいように暮らしを整えていきたい

このことが私の今の顕在的なニーズです。

(これから先はこの思いがどう発展していくのかわかりませんが……。)

自分が暮らし上手になることがブログの記事にもなり、

ビジネス=生きることそのもの になりつつあります。


そして、私は自由な時間と自由なお金で、

ホ・オポノポノを極めたいと思っています。

内なる子ども(潜在意識)の声を聞いていきながら、
毎日を丁寧に暮らしていきたいです。


みなさんは、


「本当はどうなりたいのか。」


人生で、

「どんな気分を味わいたか。」


を自分自身に真剣に聞いてみたことがありますか?


ビジネスを始める時はまずその質問からされることを
強くお勧めします。

たどり着く先が
東と西、くらいに違ってきますから。


このブログでは、
私が、ネットビジネスでノウハウコレクターだったことも活かし、
インターネットの環境面の整備、
失敗のない教材選びなどについて書いています。

 

そしてそれを生活面でサポートするために、
仕事の時間を捻出する時短家事の方法、
自分のゴキゲンをとる考え方……。

そして、末永く働ける健康法などを提供しています。

 

あなたのまだ形にならない夢が
インターネットビジネスで叶いそうなら、
私は、このブログでお手伝いさせていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

Peace of I…

せいこ